【M女レポート276】箱入り娘のコンプレックス 有佳梨
彼女の両親が、中学高校大学と、娘をお嬢様校に通わせたのは、自らが成りあがりであるゆえのコンプレックスだったのかもしれない。
娘である有佳梨がそう思うに至ったのは、彼女が大学に入学して1年を過ぎた頃だったという。
飯田有佳梨21歳、北海道出身。
有佳梨は、一言で言い表すなら「箱入り娘」と呼ぶのが相応しいくらい、
素直で優しく、おっとりした性格に育ち、学業も優秀だった。
父親は一代で資産を築いた実力派、母親は父親とひと周り年齢の離れた元モデルだった。
彼らは結婚後、一子を儲け、娘を大切に育てた。
有佳梨の通った学校は、中高一貫教育の女子校で、同級生は何代も続く家の子女が通っていた。
有佳梨がそこで大きなトラブルを起こす事なく、所謂ブルジョワジーに溶け込んだ事は、両親を喜ばせ、
大いにその自尊心を満たした。
しかし有佳梨は、ゆっくりと長い時間を掛けて、その心の中に、ある「違和感」を育てていた。
彼女の通った学校内には、確固たる派閥の様なものが存在した。
いわゆる良家の子女が、それより格の劣る家の子女を蔑視し、
それを糾弾する事はできないという、学校側にも生徒側にも共通の、暗黙の了解があったのだ。
有佳梨は決して良い家柄というわけではなかったが、寄付金の多寡というファクターもあり、良家の子女のグループにあった。
両親の教育の甲斐もあって、そうしたグループの付き合いの中でも、浮きはしないものの、
友人達が他の生徒や別の学校の生徒(つまり非ブルジョワと考えられる人達)を、常に蔑視している事に違和感を感じたのだ。
有佳梨にしてみれば、自分の両親もまた友人達からすれば、見下されてしまうような生まれの人間でありながら、
二人の間に生まれた自分は、何故か彼女達に友人として認められている事は、簡単に受け入れられる事ではなかった。
しかし、おっとりした性格の有佳梨は、その胸中を誰に語る事もなく、中学高校の6年間を過ごした。
そんな生活は、その違和感を大きな疑問に変えていた。
彼女が大学進学時に、人間生活学科という一風変わった学科を専攻としたのは、ある意味自然な事だったのかもしれない。
そして大学入学1年後、彼女はひとつの解を出す。
「自分の生きてきた世界は歪んでいる」
両親も、友人も。
生まれの貴賎や、暮らし向きに重きを置く事が、大事な事だと有佳梨は思えなかった。
そうして彼女は、SNSを通じて、様々な種類の人との交流を持つようになっていったのだ。
そうして色々な人と触れあい、多様な価値観を知る事で、彼女は自らの将来を教職に定める。
一度そう決めると、彼女はその道に邁進した。
様々な本を読み、教育のなんたるかを考える日々。
そして、彼女が受講したある人物の講義が、彼女の道を定める事になる。
「色々な経験をしなくては人を導く事などできない」
それがその講師の言葉だった。
優等生もいれば劣等生もいる、スポーツだけが得意な子供もいれば、勉強だけが得意な子供もいる。
偏った経験だけで、どうしても数十人、数百人もの人生を導く事ができるのか?
その言葉に感銘を受けると共に、これまでの人々との交流で、いかに自分の人生が箱入りであるかを、既に思い知っていた彼女は、
「これではいけない。」と危機感を感じるようになったのだ。
そして彼女は、自分の経験を補う為に、SNSで知り合った1人の男性に相談を持ち掛ける。
その男性は彼女が知る限り、自分と最も価値観のかけ離れていると感じる人だったからだった。
娘である有佳梨がそう思うに至ったのは、彼女が大学に入学して1年を過ぎた頃だったという。
飯田有佳梨21歳、北海道出身。
有佳梨は、一言で言い表すなら「箱入り娘」と呼ぶのが相応しいくらい、
素直で優しく、おっとりした性格に育ち、学業も優秀だった。
父親は一代で資産を築いた実力派、母親は父親とひと周り年齢の離れた元モデルだった。
彼らは結婚後、一子を儲け、娘を大切に育てた。
有佳梨の通った学校は、中高一貫教育の女子校で、同級生は何代も続く家の子女が通っていた。
有佳梨がそこで大きなトラブルを起こす事なく、所謂ブルジョワジーに溶け込んだ事は、両親を喜ばせ、
大いにその自尊心を満たした。
しかし有佳梨は、ゆっくりと長い時間を掛けて、その心の中に、ある「違和感」を育てていた。
彼女の通った学校内には、確固たる派閥の様なものが存在した。
いわゆる良家の子女が、それより格の劣る家の子女を蔑視し、
それを糾弾する事はできないという、学校側にも生徒側にも共通の、暗黙の了解があったのだ。
有佳梨は決して良い家柄というわけではなかったが、寄付金の多寡というファクターもあり、良家の子女のグループにあった。
両親の教育の甲斐もあって、そうしたグループの付き合いの中でも、浮きはしないものの、
友人達が他の生徒や別の学校の生徒(つまり非ブルジョワと考えられる人達)を、常に蔑視している事に違和感を感じたのだ。
有佳梨にしてみれば、自分の両親もまた友人達からすれば、見下されてしまうような生まれの人間でありながら、
二人の間に生まれた自分は、何故か彼女達に友人として認められている事は、簡単に受け入れられる事ではなかった。
しかし、おっとりした性格の有佳梨は、その胸中を誰に語る事もなく、中学高校の6年間を過ごした。
そんな生活は、その違和感を大きな疑問に変えていた。
彼女が大学進学時に、人間生活学科という一風変わった学科を専攻としたのは、ある意味自然な事だったのかもしれない。
そして大学入学1年後、彼女はひとつの解を出す。
「自分の生きてきた世界は歪んでいる」
両親も、友人も。
生まれの貴賎や、暮らし向きに重きを置く事が、大事な事だと有佳梨は思えなかった。
そうして彼女は、SNSを通じて、様々な種類の人との交流を持つようになっていったのだ。
そうして色々な人と触れあい、多様な価値観を知る事で、彼女は自らの将来を教職に定める。
一度そう決めると、彼女はその道に邁進した。
様々な本を読み、教育のなんたるかを考える日々。
そして、彼女が受講したある人物の講義が、彼女の道を定める事になる。
「色々な経験をしなくては人を導く事などできない」
それがその講師の言葉だった。
優等生もいれば劣等生もいる、スポーツだけが得意な子供もいれば、勉強だけが得意な子供もいる。
偏った経験だけで、どうしても数十人、数百人もの人生を導く事ができるのか?
その言葉に感銘を受けると共に、これまでの人々との交流で、いかに自分の人生が箱入りであるかを、既に思い知っていた彼女は、
「これではいけない。」と危機感を感じるようになったのだ。
そして彼女は、自分の経験を補う為に、SNSで知り合った1人の男性に相談を持ち掛ける。
その男性は彼女が知る限り、自分と最も価値観のかけ離れていると感じる人だったからだった。